再生支援・FA・投資を通じて
経営の最前線を共創する
ディレクター 公認会計士
中島 亮介さん
アカペラサークルに熱中した大学時代
私は八ヶ岳南麓の名水地で有名な山梨県大泉村(現北杜市)で生まれ育ちました。大自然に囲まれながら、一クラス20人前後の村立の小中学校へ通いました。出身高校は組合立甲陵高等学校(現北杜市立甲陵高等学校)です。「組合立!?」と驚かれますが、地域では有名な進学校で、私が卒業してから山梨県下初の公立中高一貫校になっています。高校時代は受験勉強に精を出し、東京大学経済学部へ進学。入学後は華やかな大学生活を満喫するべく、アカペラサークルに所属しました。当時はハモネプがアカペラブームを巻き起こしていた時代で、私たちもストリートライブをすることもありました。
大学3年生になり周囲が就活モードになる中、私はモラトリアムを満喫し、企業へ就職することに対してなかなか前向きな気持ちになることができませんでした。そんな時に「経済学部だし何か資格を取ってみようか」という軽い気持ちでTACを訪問したのですが、相談に乗っていただいた担当者から、将来のキャリアの広がりという点で公認会計士を強く推奨されました。お恥ずかしながら、会計士の社会的役割も当時はほぼ理解できてなかったのですが、「キャリアの広がり」という言葉が、当時進むべき道が見えていなかった私には刺さり、会計士を志すきっかけとなりました。
短答式試験に失敗した翌年に全国模試で1位を獲得
会計士試験の勉強を始めてみると、会計学や会社法といった実社会の基盤となる知識に触れることができ「社会に出て必ず役に立つ勉強をしている」と実感しました。科目数も多いので飽きがこず、勉強自体は楽しかったです。ところが、いま振り返ればどこか腰掛け感で始めた受験勉強で、初回受験は短答式試験で足切り不合格となってしまったのです。
周囲が次のステップに進むなか、私は一次試験で脱落し、論文式試験を受験することすらできなかったことに、当時はかなり落ち込みました。就活もせずに会計士の勉強だけしてきた私は、大学4年生の秋を迎えていました。
秋就活とも迷いましたが、結局両親に頼み込んで学費を借り、大学を自主留年して2回目の受験に挑戦し、翌年に短答式・論文式試験に合格しました。
就職浪人生として背水の陣で臨んだ2年目は、単純な暗記に走るのではなく、とにかく会計学の本質的な理解を意識しました。最初は正直なぜ落ちたのかもよく把握できていませんでしたが、徐々に学問への理解が進むと、1年目に失敗した理由がよく分かりました。徹底的に勉強したことで着実に成績は伸び、直前期には、全国模試で1位を獲得するまでに至りました。
順位はともあれ、すべての科目をきちんと理解したことは、後々の実務でも大いに役立ちました。監査法人時代にクライアントからの相談に自信をもって答えることができたのは、このときの蓄積が大きな要因だと思っています。今振り返ると「最初の受験でしっかり失敗して良かった」と思っています。
監査法人ではWork Hard, Play Hardの毎日
論文式試験合格後、有限責任あずさ監査法人へ入社。「会計だけではない専門性を身につけたい」という想いから金融事業部への配属を希望しました。銀行・証券・保険業界の監査を担当しましたが、とりわけ保険業界をメインで監査しました。たとえば、保険会社だと「売上」「売上原価」ではなく「保険料収入」「支払保険金」という勘定科目が登場します。一般的な事業会社と関連法令や引当金等の会計処理も独特で、慣れるまでは苦労しました。入社1年目から大手保険会社の合併後初年度監査も経験し、組織再編の会計処理をはじめとした細かい論点にたくさんぶち当たりました。一年のビハインドがあった分、社会人として働けることが楽しく、深夜まで残業してからみんなで焼肉を食べに行くような“Work Hard, Play Hard”の毎日も、不思議と苦に感じることはありませんでした。いま思うと、上司や同僚に恵まれていたことも大きな要因でした。当時のメンバーは私にとって今でも大切な財産です。
入社5年目、転職のきっかけとなる出来事がありました。クライアント企業が保険業に新規参入することとなり、創業したばかりの保険会社の設立初年度監査に携わった時の話です。親会社から保険会社に派遣された(保険会社未経験の)経理担当者から財務諸表ドラフトを見せてもらうと、そこには、通常あってはならない「売上高」「売上原価」の勘定科目が。担当者は保険業の知識も全くなく、手探りで通常の事業会社ベースの財務諸表を作成していたのです。
私はゼロベースで保険会社の財務諸表の雛型を作成することからスタートし、経理担当者とひざ詰めで二人三脚の仕事を進めました。この経験を通じて「数字をつくる側の大変さや楽しさ」を発見するとともに「クライアントと苦楽を共にしながら何かを生み出すこと」に大きな達成感を味わうことができたのです。そして、この時に「次は会計士として、付加価値を生み出す川上の仕事をしてみたい」と転職を意識しはじめました。
クライアントの生の課題を現場で解決していく仕事
2014年、私は株式会社経営共創基盤(IGPI)へ転職しました。IGPIを選んだ理由は3つあります。1つ目は、再生分野は会計士のバックグラウンドも活きやすいこと。2つ目は、大企業のみならず中堅中小企業のサポートもできること。そして、3つ目は公共性の高い案件や地方創生案件に携われることです。地方出身者の私は、いつか地元のために貢献したいという夢がありますが、IGPIではパッションを持って仕事に取り組めると思ったのです。
入社してからの1年半くらいはとにかくキャッチアップに苦労しました。監査業務と異なり、プロジェクトごとに目指すべきゴールが異なり、ルーティン業務がほとんど存在しないので、最初は何が分からないのかも分かりませんでした。チームにアサインされると、八重洲の本屋で業務に関連する文献を10冊単位で読み漁り、週末は必至で知識を詰め込む毎日でした。
最初の3年間は、地方長期案件を多く担当しました。月曜日に北海道へ飛び、金曜日に東京に戻ってくることを繰り返すこともありました。IGPIのコンサルティングはクライアント企業に常駐しながら、現場と一体になって課題解決をしていくハンズオン型です。クライアントの営業・製造・開発といった部門毎に現状を診断し、課題を特定した上で改善施策・アクションプランを策定します。もちろん、数か月単位でモニタリングし、施策実行の進捗を確認します。最終的には外部のコンサルタントがいなくなっても回る仕組みを確立しなければなりません。それが私たちのゴールです。
ところで、多くの経営問題は会社内部のタテ・ヨコの「断絶」に起因します。たとえば、売上を重視する営業部門とコストを重視する製造部門のヨコ関係では、その販売計画・製造計画で摩擦が生じます。また、同じ事業部内においても、担当役員と現場責任者のタテ関係が良好でなければ経営は機能しません。
社内で統一的なルールがなく、「同じ材料の仕入価格が拠点によって全てバラバラだった」という事実が判明することもあります。経営者が海外進出を決定したものの、海外現地で働きたい人が社内に誰もいなかったというようなこともあります。こうした生のリアルな課題は、現場から遠く離れたデスクでは見えてこず、現場でしか分かりません。「現場で本当に起きていること」を理解する必要があるのです。
とはいうものの、クライアント企業の現場で働くすべての人が最初から私たちに心を開いてくれることはありません。誠意が伝わるように自分事で働く姿勢を見せた上で、時には飲食を共にするなどして、信頼関係・協力関係を構築していくのです。経営の専門的な知識量よりも「人を巻き込む力」「人を繋げる力」といった人間力がもっとも大切なスキルの一つといえます。
金融機関へ出向し投資ファンドの立ち上げに携わる
IGPIの仕事は大きく「成長支援・再生支援コンサルティング」「FA(ファイナンシャル・アドバイザリー業務)」「投資業務」の3つに分けることができます。私自身、今まで3つの業務それぞれに携わってきました。珍しい経験としては、大手金融機関へ出向し、再生投資ファンドの立ち上げにも携わりました。クライアントの担当者と私の3名でスタートしたチームは、順調に業容拡大し、2年後のいまでは30人の部署となりました。ドメスティックな成長支援コンサルティングから投資ファンドの立ち上げまでを経験できる職場はそうそうないと思います。
参考までに、約200名在籍するIGPIのコンサルタントの約1割強が公認会計士です。中途入社は会計士の他にも弁護士、戦略系コンサルティングファーム出身者、事業会社出身者と幅広いです。新卒からプロパーで入社した若手コンサルタントも増えてきています。今では若手社員に「教える側」の役割が増えてきたものの、私自身、更に解決できる課題の幅と深さを広げるために勉強しなければいけないことは常に満載です。
宮本武蔵型会計士VS黒田官兵衛型会計士
私の持論ですが、会計士のキャリアは宮本武蔵型と黒田官兵衛型に分けることができると思っています。宮本武蔵型は、自らの刀を磨き、技を究める監査や会計分野のスペシャリストタイプ。黒田官兵衛型は、軍師として将軍(経営者)の近くにいて、ビジネス全体をコーディネートしていくゼネラリストタイプです。私は後者である黒田官兵衛型会計士の道を志向し、監査法人からIGPIに転職しました。キャリアを悩まれている若手会計士の皆さんも「どちらの道が自分に合っているか?」を自身に問いかけてみると、キャリアパスの方向性が絞りやすくなると思います。
ビジネス誌では毎年「財務会計特集」が編纂され、ネットでも「今度こそ分かる財務諸表の読み方」という記事が、必ず上位に掲載され、ピックされます。裏を返せば、財務会計は、ビジネスマンから重要分野と認識されている一方で、財務会計に苦手意識をもった人が多いという証左だと思っています。
そういう観点からも、会計士が能力を発揮できるフィールドは無限に広がっていると思うのです。たとえば、事業再生コンサルティングでは、まず会社の財務状況を把握することから始めますが、監査で培った経験をフル活用することができます。黒田官兵衛型の会計士を志すならば、IGPIは最高の環境だと自負しています。そのようなパッションのお持ちの方はぜひIGPIの門を叩いてみてください、一緒に働くことができることを楽しみにしています。
プロフィール
トップランナー 公認会計士 vol.17
株式会社 経営共創基盤(IGPI)ディレクター
公認会計士
中島 亮介 Ryosuke Nakajima
1985年生まれ 東京大学経済学部卒
あずさ監査法人にて保険会社・銀行等を中心に、法定監査・財務DD等の財務アドバイザリーサービスに従事。IGPI参画後は、製造・卸・小売・インフラ等の様々な業種に対する事業計画策定、再生支援、経営管理体制強化、調達コスト最適化・生産性改善等のオペレーション改革及びハンズオン実行支援、また、各種M&A業務(投資会社立上げ・プリンシパル投資・FA等)に従事。
https://www.igpi.co.jp/career/offer/
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