自分らしい生き方を
最高の「相方」と歩む会計士
代表取締役 久保 亮さん
バンド活動とバスケットボールに打ち込んだ学生時代
滋賀県東近江市の田舎で生まれ育った私の幼少期は、文武両道のわんぱく坊主でした。勉強もスポーツも音楽も大好きな私は、幼稚園からピアノを習い、中学からはギターを手にし、学校の昼休みにゲリラライブなんかをして…。とにかくやりたいことをやっていました。
滋賀県の中でもなるだけ都会の方向にある学校に進学したかった私は滋賀県立膳所高等学校へ進学。田舎では勉強もスポーツも負けなしだった私でしたが、名門高校へ入った途端、落ちこぼれになります。中学から続けていたバスケットボール部に入部しましたが、滋賀県で優勝争いをするチームの練習はとてつもなくハードで、昔から「いじられキャラ」の私は鬼コーチから克を入れられる毎日に。最後の近畿大会が終わったのは高校3年生の8月でした。大学受験モードになったのはバスケが終わってからです。
膳所高校の理数科は、クラスメイトの過半数が京都大学や国立医学部へ進学するような環境でした。私の成績は最下層でしたが、部活動が終わってから死ぬ気で勉強しました。最後の模試もE判定だったものの、京都大学総合人間学部へ現役合格できました。同学部は作曲家で有名なヒャダインさんの出身。文系・理系の学生が半々の面白い学部でした。
京都大学へ入学した後は「バンド活動」「アルバイト」「飲み会」をループする大学生らしい生活を謳歌しました。そのまま普通に就職活動をしようと思っていたのですが、3回生になろうとしていた頃の世の中は俗にいう就職氷河期。就職浪人をしている人も珍しくない状況に危機意識をもった私は「何か資格を取得してみよう」と思い立ち、軽い気持ちでTACに相談へ行ったのを覚えています。
TACで「税理士」「公認会計士」という資格を目にした瞬間、少年時代の記憶がフラッシュバックしたのです。会社の経営をしていた父は、私が中学へ入学した日に他界しました。当時、金融機関の対応から従業員のクレーム対応に至るまで、残された私たちを助けてくれたのが父の会社の顧問税理士の先生でした。「俺は税理士になって人の役に立つためにここに来たのか?」という熱い気持ちになりました。ですが、試験制度を比較検討すると「短期集中型」の私は、公認会計士試験のほうが向いていると判断。会計士受験をスタートすることになります。
ハードワーク&ハードプレイの日々を過ごしたEY時代
4回生で論文式試験に合格した私は、2012年2月にEY新日本監査法人の大阪事務所へ入社。EYには7年間お世話になりました。監査法人時代は、製造業や商社の監査を中心に担当しながらも、IPO支援から公監査まで幅広く経験を積むことができました。最後の1年間はアドバイザリー部門へ転籍し、IFRS導入支援、子会社管理、決算効率化に関するコンサルティングなどのFAS業務にも従事しました。もともと飲みに行くことが好きで、お酒の席で上司や先輩に「やらせてください!」といえば何でもやらせてもらえるような環境でしたね。
当時はとにかくがむしゃらに働きました。毎日終電近くまで働いて、そこから飲みに出かけて…。実はその時の盟友が現在の共同経営者となる圓尾(まるお)です。彼とはEYの同じ部署でともに汗をかいて、毎日のように飲みに行きました。飲んだくれた後はそのまま二人でビジネスホテルに泊まりこんで熱く議論を交わし、そのまま翌朝一緒に出社するようなことも多々ありました。そんな流れで「一緒に独立しよう」という結論に至ったのです。
相方の圓尾とゼロベースで会社を設立
2019年8月、私たちはKUMA Partners株式会社を設立しました。社名の由来は久保のKUに圓尾(まるお)のMAを加えた「KUMA」。お互いにオレンジ色が好きだったので、コーポレートカラーはオレンジにしました。
実は会社設立時にはちょっとした裏話がございまして…。圓尾と独立の口約束をした直後、彼は監査法人を退職しました。一方、私は同じタイミングでアドバイザリー部門の上司から「収入のあてがなく独立するくらいなら1年間うちで働いてみないか?」という話をいただき、私だけもう1年EYに残留することになったのです。圓尾は1年間、犬の散歩をしながら私を待ってくれていました(笑)。
EYを退職して会社を設立したものの、当時20代だった私たちに最初から仕事があるわけではありません。収入はEY時代の半分未満になりましたが、特段、不安や不満はありませんでした。「経営者から直接喜んでもらえる仕事がしたい」という信念を貫きたかったからです。せっかく独立したのだから、焦らずに「自分たちが理想とする働き方」を模索しながらのスタートでした。
「漫才」を通じて仕事をいただくことも
振り返れば、KUMAのふたり(久保・圓尾)は監査法人時代から少しだけ浮いていたと思います。親しくなったクライアントさんとは「ため口」で会話するようなこともあったり、よく言えば「親しみやすいキャラ」として仕事をしていました。そうした感覚は今でも大切にしています。
会社設立直後は、「人間」としての私たちを前面に出した営業施策の一環として、YouTubeで「KUMAチャンネル」を開設しました。ただただ、ふたりが雑談をしているような内容ですが。私たちは実務家向けのセミナーで登壇することもあるのですが、人前に立つという意味では、実は「漫才」もやっているんです。M-1グランプリにも「KUMAぱーとなーず」として参戦しているんですよ。検索していただけるとM-1のエントリー履歴にも出てきます。実は今日、この取材の後にもクライアント先の寄席で漫才を披露することになっています。
漫才活動を通じてお仕事をいただくことも少なくありません。「漫才部」のある会社から仕事のオファーが来たり「固い先生よりもおもろい先生」みたいな流れです。自分たちの「こうありたい」「こう生きたい」を表現することで、自ずと相性の良いお客様とつながっていけることを実感できています。これは本当にうれしいことです。
KUMA Partnersは設立5年目となり、製造業、IT企業を中心とした法人様、個人事業主様を中心にお手伝いをさせていただいております。具体的には、原価計算制度の導入、海外子会社のレポーティング、インボイスの導入など、FAS系のスポット案件を中心にサービス提供しています。今年からは、フリーランス向けの記帳代行業務も始めました。加えて、KUMAのオフィスはビジネスパートナーである税理士法人ライトハンドと同居しています。私たちも税理士法人にも参画し、スポット案件と顧問業務の連携をとりながら、お客様との継続的なお付き合いができる体制を整えています。
私が独立したかった本当の理由を求めて
監査法人の仕事は多忙を極めると思います。それは、会計士として転職しようと、独立を選択しようとも変わりません。いずれにしても、士業の仕事は「クライアントのために尽くす」仕事で、簡単に言うと「締め切り」に追われる仕事です。
監査法人勤務時代の繁忙期に「大きな岩に追いかけられる夢」をよく見ました(笑)。今ではその夢は見なくなりました。当時と走っているスピードは変わらないのですが「自分の旗」をめがけて走っているので、ストレスを感じないのだと思います。ここで言う「自分の旗」とは「自分の理想の状態」といいますか…。もちろん売上(年収)も大切ですが、欲には際限がありません。お金を稼ぐために仕事をしていても、人間はどこかピリピリしてしまう。
今の私は、理想的なワークライフバランスを保ちながら、会計士というよりかは「人間」として仕事ができているように思えます。
プロフィール
トップランナー 公認会計士 vol.25
KUMA Partners 株式会社
代表取締役
久保 亮 Ryo Kubo
1989年生まれ。滋賀県出身。EY新日本有限責任監査法人を退職後、独立。KUMA Partners株式会社を設立。監査法人時代には事業会社の法定監査の他、公監査やIPO支援など幅広く従事。独立後は営業管理や組織づくりなど、会計や税務の枠に捉われず多様なコンサルティング業務を提供する一方、フリーランス向けの記帳代行サービスも展開している。共同代表の相方と漫才をしており、「くまパートナーズ」としてM-1に挑戦中。
YouTubeチャンネル「KUMAチャンネル」はこちら↓
https://www.youtube.com/@kumachannel_CPA
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