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会計税務を通じて地域の「困った」を
「ありがとう」に変えたい

株式会社ドットライン
取締役 梅本 学さん
株式会社ドットライン 取締役 梅本 学さん株式会社ドットライン 取締役 梅本 学さん

アウトロー学生が簿記と出会い会計士を志す

愛知県岡崎市で生まれた私は、幼少期から小学校4年生までを千葉県千葉市の幕張本郷で少年時代を過ごしました。父親の転勤で小学校5年生から中学2年生までは名古屋にいましたが、中学3年生で元々暮らしていた幕張本郷に戻ることに。高校は地元の市立稲毛高等学校へ進学し、現職である株式会社ドットラインCEOの垣本とは同級生として知り合いました。サッカー部のエースで学校のリーダー的存在だった垣本とは正反対の私は、部活にも勉強にも無関心。成績は学年最下層で出席日数もギリギリの「異端児」として目立っていました(笑)。
ですので、今日、同じ組織のボードメンバーとして共存していることが面白くて仕方がありません。

高校を卒業した私は形式的に大学生になりました。大学生になっても遊び専科のライフスタイルは変わらず、アルバイトや麻雀の毎日です。ところが、3年生の「就活」シーズンが到来すると、周囲がソワソワし始めます。当時仲が良かった友人が、就職のために日商簿記3級を受験するというので、何となく私もトライすることになったんです。そして、勉強を開始してみたのですが、すぐに「簿記の世界」の虜になってしまったのです。世の中の動きを数字に体現する簿記にしっくりきたと言いますか、貸借が一致することに美しさを感じました。好きこそものの上手なれで、簿記3級は満点合格。中学以来に満点を取った私は妙な達成感を味わい、その勢いで公認会計士を志そうと決意しました。

資格予備校の最初の講義で「公認会計士の独占業務は監査です」と耳にしましたが、私は「監査?」という感じで、当時は会計士が監査をする人だということすら知りませんでした(笑)。
いままで遊んできた分、単純に勉強した欲求が強かったのだと思います。4年生で初めての本試験受験を経て、早稲田大学大学院へ進学。大学院1年生で論文式試験に合格します。論文式試験に合格した受験仲間の大半は非常勤職員として監査法人へ入社していましたが、やはり私は異端児。「あと1年」の自由を謳歌したく、1年間麻雀荘のアルバイトをしていました。翌年の2009年は就職氷河期できしたので、もしかするとこの選択が就職に響いていたかもしれません。

アウトロー学生が簿記と出会い会計士を志す

監査、アドバイザリー、ファンドの3部門を経験

監査、アドバイザリー、ファンドの3部門を経験

2010年1月、私はトーマツ監査法人へ入社し、国内監査部門へ配属となりました。入社当時はどちらかと言えば人員過剰だったせいか、毎日のように同期と飲み歩いていたように思います。とはいえ、商社、製造、流通などの上場会社を中心に監査を経験できたことで「ロジックのつくり方」「チームで働くこと」を体感的に理解できました。ですが「パートナーは狭き門」と理解し、心の中では修了考査に合格したタイミングで監査以外の仕事をしようと考えていました。

修了考査を終えた私は、グループ内のアドバイザリー部門(デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社)へ出向しました。ここでは、買収対象企業の価値やリスクを把握するDD(デューディリジェンス)業務、対象企業の株価算定をするVAL(バリュエーション)業務、財務モデリングといったM&A業務に従事。大型案件にも携わることができました。当時のMA部門は、終電での帰宅や徹夜が当たり前で「気合と根性」を身につけることができたと思います。

アドバイザリー部門での約2年間の修行を経た私は、PMI推進機構へ出向となりました。厳密には出向の出向でしたので、このタイミング監査法人から転籍です。金融機関の専門家が多数派を占める組織で、公認会計士は私を含めて2名。管理系のポストで、投資案件の判断、モニタリングから経理業務までを担当しました。職場の文化が全く異なり、結局、アドバイザリー部門のM&A業務へすぐに戻ることになったのですが「知らない世界」を知ることができた貴重な1年間でした。デロイトグループには通算8年間お世話になりました。

自ら育児担当となり「抱っこ紐営業」も経験

自ら育児担当となり「抱っこ紐営業」も経験

M&Aに携わっていた頃は「働き方改革前」の時代。100人規模の大型案件も増えていく中、とにかく多忙を極める毎日でした。「1週間子供の顔をみていない」という猛者もいたほどです。そのような環境下、第一子の出産が決まったタイミングで「働き方」を変えたいと思うようになります。

私の父は「昭和の仕事人間」でしたが「自分はそうはなりたくない」と心のどこかで思っていたのでしょう。「家族サービス」という言葉が嫌いなんです。加えて、医師として働く妻は、産後はすぐに職場復帰することを望んでいました。

「そうだ!独立して育児は俺が引き受けよう!」

ということで、会社を退職する決意をしました。独立当初は、M$A業務の下請けからスタートしました。

しかしながら、現実はそう甘くありません。育児は「日中」が中心でしたので、昼は育児、夜は仕事の日々を送ることになります。当時は「オンライン」や「リモート」という言葉すらない時代です。やむなく「抱っこ紐」をしたままクライアント先にいくこともありました(笑)。

自らM&Aの買い手となり5つの事業の経営にチャレンジする

自らM&Aの買い手となり5つの事業の経営にチャレンジする

独立して2年目になると、士業も労働集約型のビジネスには限界があると悟り始めます。
長らくM&Aをアドバイスする側だった私は「M&Aをする側」になってみたいと思い立ち、自己資金でスモールビジネスを買収しました。

買収したのは、美容サロン、レンタルスペース、インテリアのオンラインショップなどです。
特にEC事業はPCだけで完結するので、育児と両立できる大きなメリットがありました。その反面「誰とも会話をしない仕事」から達成感を得られることがなく長続きはしませんでしたね。会計事務所の本業からサロンやECショップの運営業務まで「広く浅く」働く中、保育園や幼稚園の送迎は常に私。「パパは何の仕事をしているの?」と妻がママ友から聞かれた際に、何も言えなかったそうです。この件をきっかけに、また「会計の仕事」に戻ることを決意しました。

「社会貢献×会計税務」をドットラインで実現したい

「社会貢献×会計税務」をドットラインで実現したい

話が前後してしまうのですが、私がデロイトの在籍中にも冒頭にお話ししました高校の友人である垣本とは定期的に飲み会や情報交換をしてました。垣本は最初に勤めた会社を辞めた後、起業するためにボートレーサーを目指した時代があったのですが、その過程でボートレーサー試験予備校を立ち上げました。彼が手掛けた最初の事業です。彼も独立したばかりで、将来的には介護・福祉関連のビジネスで起業することを志していました。私が独立をした直後に、今後より会社を成長させていきたいという垣本に何か役に立てることがあるものと思い顧問として関わりをさせて頂きました。当時はまだ、事業所数は片手で数えられる程度で、従業員数も100人いなかったです。もちろん経理も経理管理機能も内部統制もありません笑。まずやったこととしては、会社からの借入れに垣本個人の保証があり、成長の足かせとなっているものと思い、財務数値を綺麗にして、見せ方を変えることで、いままで付き合いができなかった銀行と取引をすることができ、個人保証を外すことができました。個人保証を外せれたときは、自分のこととように嬉しかったことを今でも覚えております。より近い立場で、会社を成長させるためにも、社外取締役に就任をして、経営管理体制の構築、資金調達、M&A等を会社の成長に合わせて、対応をしていきました。結果として、ドットラインは業界でも類を見ない急成長をすることができ、医療福祉分野で千葉県NO1の事業規模となり、私が関与したときから10倍以上の事業規模となりました。これから成長をしていく会社や起業家、経営者にとって、広い視野をもった会計税務や経営管理の専門家は、パートナーとして、重要なものと思います。なお、いまでは、「経営者主夫」の脱線を経て、ドットラインの常勤取締役として経営に参画している次第です。

ドットラインは医療福祉事業をドメインにしながら『地域の「困った」を「ありがとう」に変える®』をスローガンに様々な社会インフラ事業を展開しています。社会に直接的に貢献することは、なかなか「ひとり」ではできません。そういう意味で、私がドットラインというチームで「やりたいこと」は無限に広がっていくと思っています。

現在、私が最も力を注いでもののひとつに事業会社であるドットライングループのメンバーファームとして、税理士法人を設立させるというミッションです。たとえば、ドットラインのナーシングホーム事業に相続事業やコンサルティングサービスを融合させることでシナジーが生じると思っています。また、ドットラインが成長をしてきたノウハウや管理体制等を全国の福祉、医療事業者にお伝えすることで、事業者の経営が強くなり、またサービスの質も高くすることができれば、地域、社会がよりよくなり、業界への貢献をできるものと考えております。さらに、アイデアベースにはなりますが、ドットラインは障がい者の就労支援も行っています。税理士法人の業務を因数分解すれば、記帳業務などのルーティンワークを障がい者支援に繋げることもできるのではないか?とも思っています。いずれにしても、士業×事業会社というのは、シナジーを相互に発揮できるものと考えています。

会計士や税理士にはキャリアの多様性があると言われますが、まさしくその通り。だからこそ「自分に合う仕事」「自分に合う働き方」を「自分に合う人」とするべきかと思うのです。
ですが、ほとんどの仕事は実際にやってみなければ分かりませんし、結婚や育児で環境はどんどん変わっていきます。若手の会計士・税理士に1つだけメッセージを送らせていただくとすれば「やれるときにやならければ後悔する」ということです。38歳の今の私が、ずっと監査法人に所属していたら、事業会社の経営者にはなっていなかったでしょう。

プロフィール

トップランナー 公認会計士 vol.26
株式会社ドットライン 取締役
梅本 学 Manabu Umemoto


1985年生まれ。愛知県で出生後、千葉市へ。サラリーマンとして猛烈に働く父と家庭を支える専業主婦の母、4つ上の姉とともに自由に育つ。学生時代は、遊び中心であったが、簿記と出会い会計士試験へ挑戦。合格後、監査法人、FAS会社を経て、独立&育児生活へ。独立後、紆余曲折あり現在は高校の友人が経営をしている地元の事業会社の役員に就任。士業×事業会社モデルを模索中。2児の父。独立した会計士のなかで、最も育児をしてきたと自称。

TACマリッジコンシェルジュ
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